還暦アメリカ周遊ツアーも最後の場所アトランタ編です。

(Vo.1~4は、こちらからもご覧いただけます。https://www.coach-angel.com/blog/)

 

アトランタ空港には11時には到着していたのですが、
ハプニング対応で気がつけば夕方19時。

スーツケース3つはジャクソンビルの取り残されたままですが、
ホームスティさせていただく先のジョージさん&悦子さんが空港まで迎えに来てくださいました。

 

もともと膀胱炎で弱っていた上に、ぎゅうぎゅう詰めの飛行機で弱っていたのですが、
ジョージさん&悦子さんの素敵なお宅に入り一安心しました。

 

*お花に癒されました。

*ジョージさんと悦子さん。

*夕食はダイニングで。

 

 

 *アメリカ南部料理のポークリブとお野菜とても美味しかったです。

ハプニングがあった後の暖かなご家庭での夕食にはとても癒されました。

ご自宅はまるで美術館。
お二人のオフィスもあり、家中の壁には集められた絵画が飾られ装飾品などがセンス良く置かれてます。

 

悦子さんとジョージさんのあり方を心から尊敬していますので、その一部をシェアさせていただきます。

 

お二人は47日のヨーロッパ旅行(半分船旅)を終え前日に帰国しすぐに私たちを受け入れてくれました。

しかも、忙しい中を私たちが訪問する3泊2日(実際に使える時間は2日間だけでした)のために、事前に下見をしてくださって、完璧なItenary(行動予定)を送って来てくださったのです。1時間ごとの予定はまるで芸能人なみ?でした。

悦子さんはJALのアトランタ空港で初の女性マネージャーを勤め上げ、定年で退職されるまでキャリアウーマンとしてアメリカで活躍された敏腕、現在80歳。お疲れを見せずに食事から行動の手配から、全てにご配慮がされていて本当に感動しました。

ジョージさんは東欧の貴族の方でしたが先の大戦でアメリカに逃れ、アメリカで努力をされて公務員の定年後に55歳から株や不動産を自らされサクセスされ87歳現役の努力家です。

悦子さんのオフィスには、東ヨーロッパで開かれたダンスパーティなどに参加されそこで一番印象的だった人に選ばれ表彰されたお写真や、JAL時代のお写真などがところ狭しと飾られていました。
悦子さんが真摯に努力を続けてこられ、人生を楽しみ謳歌された素敵な記録です。

ジョージさんは、朝からイケイケの音楽をリビングで流しテンションマックスです。

自宅オフィスでは大きなモニターが3つあり、1つはニュース、1つは株のチャート、1つはEメールのやりとりをお昼まで続けています。
日本で言えばその働きは40代〜60代でしょうか?とても87歳とは思えないです。

しかも47日間の旅行から戻ってすぐの朝からいつも通りに過ごしています。

 

優秀であり愛情に溢れていて、全てにおいてお手本になる素晴らしいお二人。

異国の地で限りない計り知れないほどの努力を続けていらっしゃり本当に素晴らしいです。

 

その日の夜は、悦子さんのパジャマをお借りしてぐっすりと休みました。

 

翌日は、アメリカンブレックファストを準備していただきました。
*お疲れも見せずに笑顔で朝食を作ってくださる悦子さん。

*朝食はリビンングの横のテーブルで。

 

朝食の後は、裏庭の芝生でのんびりと、鳥の声に癒されます。

これだけ広ければコロナのロックダウンにも耐えられますね。
裏庭でヨガや運動もできます。

 

朝食後は、アトランタのミュージアム(バックヘッド)へ。
アメリカ南北戦争の歴史を学べる場所です。

リンカーン大統領が奴隷制の廃止を宣言し南北戦争の原因と言われていますが、
カラーピープル(黒人・黄色人種)への偏見の是正を実行したリンカーン大統領のされたことは、
大きな功績でしたが、61万人もの人が亡くなったそうです。

人を私有財産として所有していた時代があったのはまだ60年前のことです。

 

しかしながら、カラーピープルに対する偏見は続き、
アトランタではキング牧師がその自由を求めて活動します。

*I have a dream で始まる演説は後世に遺ります。
キング牧師が説教されていた教会は今もありご本人の肉声が流れています。

 

ミュージアムの外にはガンジーの銅像もありました。

アメリカの黒人差別に関する映画を見ることもあり、当時はレストラン、交通機関、トイレなどすべて別々でした。

私たち日本人も黄色人種ですからカラーピープルですから当然同じ場所にいられなかったはずです。

現在でもアトランタの会員制ゴルフ倶楽部や学校では、白人だけが所属できるものがあるそうですし、

教会でも白人が行く教会、黒人が行く教会というのがあるとも聞いています。

 

白人が多いマートルビーチ(サウスカロライナ州)にある鉄板焼きのお店での経験ですが、

夕方から21時までの早い時間帯は白人の来客が多く、
21時〜23時の遅い時間帯は、黒人の来客が多かったのを覚えています。

お互いが気持ちよくレストランで食事をするために誰に言われるともなくそのような習慣になったのではないでしょうか。

まだまだ人種の問題は残っています。

 

日本でも馴染みが深い映画「風と共に去りぬ」原作者マーガレット・ミッチェルが幼少期に過ごした場所のミュージアムに連れて行っていただきました。

 

ミュージアムは実際に南部の兵士が傷だらけでたどり着いた駅の横にあります。

 

アトランタは仕事で行くことはあっても、観光で行く人が少ないので、
日本人にはアトランタオリンピックがあった場所・コカコーラの本社がある場所というイメージでしょうか? 

現在アトランタはハリウッドの街ができています。

カリフォルニア州は税金や物価が高いので映画制作のコストが高くつきますが、
アトランタは税制を優遇している上に、土地の値段などが高く無いため、ハリウッドの一部の撮影はアトランタに移転されています。

2017年に訪問した時はまだ原っぱだった場所に、ホテルや家が出来上がり街になっていました。まだまだ発展する予感です。

*2017年訪問時は広い平原でしたが、今は街ができています。

*大きなスタジオが入る建物がいくつもできています。


*アメリカにしては小さい家がたくさん並んでいる街並みでした。

 

アメリカの中でもアトランタという街には、アメリカの歴史の中でも大事な部分が残されているし、
新しい未来に向けての街の開発もあり、ハリウッドが移転していたり、
経済特区があり日本企業がアメリカ進出する時に工場を作っていたり、

北のバックヘッドという街は豪邸が沢山あり大金持ちの街があったり、
ニューヨークに次ぐ金融街でもあり、おしゃれなレストランやショッピングセンターがあったり、

実は観光でも色々と楽しめる場所です。

一度は訪れていただきたい場所で私は大好きな街です。

今日も最後までお読みくださりありがとうございました。

 

次回は、アトランタの食事事情。
美味しいレストランやお食事の紹介をします!

 

愛と知恵の心の法則で未来を開く
Professional Coach  実方晴美