心の法則ライフ&ビジネスコーチの実方(じつかた)晴美です。

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アメリカ周遊視察(還暦記念)ツアーの3カ所目は「アルバカーキ」(ニューメキシコ州)です。

ニューメキシコはどこ?と思う方も多いのですが、アメリカの西のロスアンゼルスからロッキー山脈を超え、アリゾナ州を過ぎた右側の州です。

砂漠地帯の中に平原と少しの木があり、真っ青な青空が本当に美しい街です。(前回のサンタフェの写真も真っ青な青空でした)

そこは、バルーンフェスタとうい何百もの気球が一斉に空に上がっていくフェスタがあり圧巻です。

2019年10月にフェスタに行きましたが、広大な空にバルーンが広がっていくのが気持ちよかったです。

 

(気球を上げる準備)

(空に次々と気球が舞い上がります)

(いとこのティムと奥さんのマーシャと一緒に)

 

2019年10月、また来年の夏に来るね〜とお別れの挨拶をして帰国しましたが、
2020年1月、まさかのコロナウィルスの蔓延により、1年後に会う予定だったのですが、2024年5月、5年ぶりの再会となりました。

 

5月は気持ちの良い季節で、家族が集まってくれて楽しい2日間を過ごしました。

ミラがまだ2歳なので1日目は動物園へ。


ティム&マーシャの長男のキャメロンに長女(ミーラ)が生まれ・その可愛さにメロメロになる私でした。

翌日は、ロイとイヴェットの家でファミリーパーティに招待してくれました。

イヴェットお手製のメキシコ料理(美味しかった)

ロイ&イヴェットの長女のアリヤがNM州のカクテル作る大会で優勝したそうで、ノンアルコールカクテルですが、本当に美味しかった♡

子供や孫の成長が早く、この5年ですっかり子供たちも大きくなり家のバックヤードで野球をして遊ぶほどに成長しました

バックヤードにはバーベキューができるキッチンや、野球ができる芝生、写真には無いのですがジャグジーとプールもあります。

とにかく広い!

 

 

私たちが宿泊していたティム&マーシャの家は、ゴルフ場に隣接をしていて広くて清々しい。

青い空と緑の芝生で、そこは天国の世界です。

犬の散歩はゴルフ場で。

 

ニューメキシコ州は貧富の差が激しく治安が悪いというニュースもありますが、

私のいとこ家族が住むところはお散歩もでき安心に暮らせる場所です。

 

昭和30年代、私の母と1つ上の姉は、戦後立川のエアフォース(空軍)で仕事をしていた時に叔父と出会い結婚をしました。

母の父親は、立飛(立川飛行機)で飛行機の設計士として仕事をしていたので、その関係からかもしれませんが、

短大の英文科を卒業し、空軍で英語を使った仕事についていたそうです。

 

叔母は62歳、30年前に他界しましたがずっとエアフォースで仕事を続けていたので、お葬式は空軍の中の教会で、

白い制服に身を包んだ方々が整列してくださり、とても厳かなお葬式でした。

叔母は日本人ですが、短大を卒業してからずっと空軍で働き、その才媛からアルバカーキにあるエアフォース内には「YASUYO HARISSON ROAD 」と名前がついた道ができたそうです。

叔父は退官するまでずっとエアフォースで働き、2018年に他界しましたが、亡くなる3ヶ月くらい前から、夜は夢をみてはうなされていたそうで、日本の東北地方に20代の頃に赴任していた時の夢をみてはうなされていたそうです。

ベトナム戦争にも行っていましたし、仕事のことは何も話さない叔父でしたが、心が本当に癒されることはなかったと、看取ったマーシャが言っていました。

叔母と息子たちが日本に来ても、叔父が日本に来ることはありませんでした。心が辛かったのかもしれません。

叔父と叔母の慣れそめを生前に聞いたのですが、

叔母はとてもおしゃれだったので、アメリカの雑誌をみては、靴やバックなどを叔父に代理で買って欲しいとお願いをしていたそうで、

叔父はいつも叔母が欲しいアメリカの靴、バックを買って渡していたそうです。

そこからお付き合いになったそうです♡

叔母は、空軍の司令部のようなところで、アメリカから日本に企業が来る時のリサーチなどを担当するコンサルタント的な仕事をしていたそうで、当時としてはキャリアウーマンの走りだったのですね。

 

私の母は、父とはこのベース(エアフォース)で知り合って結婚しました。

母は将校さんのセクレタリ&タイピストとして仕事をしていて、48歳で亡くなるまでその上司とはクリスマスカードのやり取りをしていました。

我が家は母がベースに勤めていたこともあり、ハンバーグやスパゲッティミートソースなど、ナイフとフォークを使う夕食が度々出ていたので、近所の友達からは珍しがられました。昭和40年代ですから珍しかったのですね。

私ももしかしたら、ハーフ(アメリカ人の父親)で生まれていたかもしれませんね。

 

2019年10月にその前年に他界した叔父のお墓参りをした時の写真

 

戦争ははるか昔の話のようですが、叔父と叔母は戦争を生き抜いて、敵国同士だった者同士が愛し合い、愛情あふれる温かい心を持った家族を作りました。

日本が戦争に巻き込まれないように、知恵と勇気で、判断力を持ち、世界に貢献していける民族・国に成長していく必要性があると思います。

6月にドバイ視察をしましたが、まさにドバイは国家戦略が成功していると思いました。

日本は敗戦を機に、大切なものを失ってきているような気ましていますが、まだ再建できるのではないでしょうか?

 

次回は、アトランタ編をお届けします!